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浅田只助が同僚の成滝万助に殺害され、
只助の子、鉄蔵(21歳・養子)と門次郎(12歳・実子)がその仇を討つ。
若い二人の敵討ちは評判となり、兄弟の孝心を讃えた。
この浅田兄弟の仇討ちは、江戸時代最後の幕府公認の仇討ち。
当時の仇討ちは敵討ちと呼ばれ、
幕府から書替と呼ばれる免許状が交付され、はじめて敵討ちが出来る。
小田原城内には、この免許状と、
万助を捜す道中持っていたというずだ袋と、鎖入りの襷と、
仇討ちに使用された刀が展示されている。
万助に子供はいなかったのかなぁ、と思ってしまった。
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福沢諭吉は、幕臣であったにも関わらず、
維新後、明治新政府の高官となった
榎本武揚と勝海舟を批判。
黒田清隆のとこに榎本武揚の助命を
お願いしに行ったのって福沢諭吉だよね?
批判なんてすることないじゃん。
大人気無い。
信念も無く有利な方に有利な方に、って
付いてってる訳じゃないんだから。
信念があって、志を曲げなければ、
結果的に二君に仕える事になっても
それはそれで良いじゃない。
維新後、明治新政府の高官となった
榎本武揚と勝海舟を批判。
黒田清隆のとこに榎本武揚の助命を
お願いしに行ったのって福沢諭吉だよね?
批判なんてすることないじゃん。
大人気無い。
信念も無く有利な方に有利な方に、って
付いてってる訳じゃないんだから。
信念があって、志を曲げなければ、
結果的に二君に仕える事になっても
それはそれで良いじゃない。
「自分は死ぬべき場所に死ぬことのできん奴だ。
自分を死ぬべき場所に死なせてくれる人は西郷だ。
そのため一生離れることはできん」
桐野利秋が残した言葉。
因みに桐野利秋は、”人斬り半次郎”という異名を持つ。
が、
そんなに滅多やたらにバッサバサ
斬っていた訳ではないんだって。
己を大切にし、自分を活かそうとする人に愚痴はない。
大久保利通は生涯愚痴を言わなかった。
愚痴を言ってる時間ほど、無駄で勿体無い時間はない。
誰かに変われるわけじゃないし、
この自分に一生付き合っていかないといけないんだから。
薩摩藩主、島津斉彬。
工場造るなら磯、
翻訳するなら蘭書。
日の丸を作った男。
工場造るなら磯、
翻訳するなら蘭書。
日の丸を作った男。
黒田清隆の娘は榎本武揚の長男と結婚。
元は敵将同士の二人。
素敵な関係。