浅田只助が同僚の成滝万助に殺害され、
只助の子、鉄蔵(21歳・養子)と門次郎(12歳・実子)がその仇を討つ。
若い二人の敵討ちは評判となり、兄弟の孝心を讃えた。
この浅田兄弟の仇討ちは、江戸時代最後の幕府公認の仇討ち。
当時の仇討ちは敵討ちと呼ばれ、
幕府から書替と呼ばれる免許状が交付され、はじめて敵討ちが出来る。
小田原城内には、この免許状と、
万助を捜す道中持っていたというずだ袋と、鎖入りの襷と、
仇討ちに使用された刀が展示されている。
万助に子供はいなかったのかなぁ、と思ってしまった。
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